古楽器と私
私と古楽器との出会いは、多くの方と同じで、小学校でのリコーダーの授業です。
古楽器というものの定義はいろいろ有るとは思いますが、主にヨーロッパの中世・ルネサンス期に用いられ、その後オーケストラの進化と共に忘れられてしまった楽器の事と思います。
リコーダーも18世紀に使われなくなり、20世紀に再び光を当てられるまでの期間、完全に忘れられていました。
もちろん、小学生に古楽器なんて、認識は無いですが。
音楽は好きな科目でしたが、リコーダーは難しかったですね。歌の方が得意でした。
中学生になり出来立ての吹奏楽部に入部しました。小学生の頃からトランペットのプライベートレッスンを受けていた友人に誘われてです。
楽器の名前も知らない私は、トランペット希望でしたが、ユーフォニアムに。これが長い吹奏楽との付き合いになる第一歩です。
合奏の魅力を感じました。リコーダーも好きになり、友人と合わせるのが楽しみになりました。
高校は都立高の堀越と言われ、多くの芸能人を排出している、都立日野高校に進みます。もちろん吹奏楽部。大学生になりどうしても、リコーダーのプライベートレッスンを受けたいと思い、高校時代の部活仲間がトランペットを吉澤賢太郎氏に師事していましたので、先生を紹介してもらいました。
それが、当時カテリーナ古楽合奏団を主宰していた、松本雅隆氏でした。
そこで、聴いた古楽器の音。衝撃でした。なんて心にまっすぐ来る音なんだろう。土の中から滲み出て来る様な人間臭い音。
雅隆さんが、ヨーロッパに旅行に行くまでの一年間。夢の様な時間でした。
大学は、私が入学した時はまだ創部二年目の吹奏楽部でしたが、今は日本の大学を代表する、バンドに成長しています。
そこで、テューバ の師久保修平氏と出会い、卒業して半年の小学校非常勤講師を経て、フリーのミュージシャン、その半年後には、巨大テーマパークのオープンで、専属バンドに入団。十年半勤める事になります。
入団して3年ほどで私は結婚し、その報告の葉書を雅隆さんに送りましたところ。パークで思わぬ人から声をかけられます。
中学の頃吹奏楽部でご一緒していた女性が、その葉書を見た様で、彼女こそが、「ロバの音楽座」創立メンバーの塙 純子さんでした。
そこで初めて「ロバの音楽座」の事を知りました。
2人の子宝に恵まれ、或る日。千葉市内のビッグバンドのお手伝いをしてたら、公民館に「ロバの音楽座」のポスターが貼ってありました。
これは!と思い。家族4人で、聴きに行きます。見た事も、聴いたことも無い素敵な不思議な世界。
雅隆さんに、10数年ぶりでご挨拶。その時に「ロバの音楽座」入団を決めて、半年後にはロバの旅をしていました。
私のホームページより素敵なロバハウスのホームページへどうぞ。
長井和明